都立自校作成校ってなに?

都立自校作成ってなに? QandA

 

Q.都立自校作成校ってなに?

A. 独自入試を行っている都立高校の総称です。 一般的な都立入試と問題が異なります。

ひどく強引にまとめると「学生を難関大学に送り込むことを前提に運営されている都立高校」となります。東京都教育委員が指定しており、都の定めた「進学指導重点校」とおおよそ一致します。

〇参考URL:
http://www.metro.tokyo.jp/tosei/hodohappyo/press/2017/08/24/27.html

 

Q.なんで独自入試なんてする必要があるの?

A.都立にも進学校が必要だと2000年ころに都が決めたからです。

自校作成はもともと2001年に日比谷高校で最初に実施され、そのご2002年に西高校、2003年に戸山高校と順次実施されていきました。

むかしむかしの東京、だいたい1960年代あたりまでにおいては、一部の都立高校はスーパー進学校化が進んでいました。たとえば都立日比谷高校からは東京大学へ100人以上も輩出、全盛期では180人や190人を東大へ送り込み、その実績は全国で1位でした。日比谷の後には都立新宿、都立戸山、都立小石川などが続いていました。つまり現在における開成や筑波大付属のニッチを、かつては都立高校たちが占めていた、昔はそんな時代もあったのだ、とイメージしていただけるとよろしいかと思います。

しかしその後70年代になるとエライ人たちの間で「受験戦争はいけない、都立高校のいきすぎた進学校化をやめよう」という論調が支配的となりました、都立高校は学群制度を採用、ここから都立高校の過熱しすぎた偏差値は大人たちのねらい通りにゴリゴリ下がっていき、大学進学実績も下がっていきました。1990年代には日比谷からの東大進学者数は5、6人に落ち着きました。めでたしめでたし。

ここにおいて。

都の偉い人たちの思惑とはまったく関係なく東京の丸の内や山手の内側のような地価の高い地域には裕福層がひしめいて暮らしてました。都立高校の進学実績の低下にともない、彼ら裕福層においては、子どもを私立の中高一貫校に通わせる、というライフスタイルがだんだんとスタンダードになっていきました。この流れは現在まで続いています。

1990年代になると今度は揺り戻しが発生、20年前とは反対にエライ人たちの間で「ゆとり教育がけしからん、都立の進学実績がけしからん」という論調が支配的となりました。当時の石原都知事が「都立復権」をかかげて都立高校の受験エリート化を推進しました、このねらいは大成功、以来、偏差値ハイエンドの都立高校たちは露骨に東大の進学者数にノルマを課せられ、その人数を競いあっています。2016年の日比谷からは東京大学への進学者数53人です。

 

 

Q.ふーん、で、具体的にはどこよ?

A.具体的には以下の高校群になります。

〇「進学指導重点校」(独自入試)
日比谷、西、国立、八王子東、戸山、青山、立川

〇「進学指導特別推進校」(独自入試)
新宿、国際

ここまでが独自入試つまり都立自校作成校になります。

以下は独自入試ではありませんが東京都から「進学指導特別推進校」に指定されています。

〇「進学指導特別推進校」(共通入試)
小山台、駒場、町田、国分寺、小松川

以下の高校群も独自入試ではありませんが東京都から「進学指導推進校」に指定されています。

〇「進学指導推進校」(共通入試)
三田、豊多摩、竹早、北園、墨田川、城東、武蔵野北、小金井北、江北、江戸川、日野台、調布北、多摩科学技術

 

Q.覚えきれないわ、思いのほか多くね?

A.我々の住む千駄木、谷中、根津のあたりから現実的に通学できる距離にある学校は以下の学校あたりに限られるかと思います。

〇「自校作成校」
日比谷:東大「進学」は現役で30人ほど、早慶「合格」は現浪で300人ほど
戸山 :東大「進学」は現役で5人ほど、早慶「合格」は現浪で100人ほど
青山 :東大「進学」は現役で5人ほど、早慶「合格」は現浪で100人ほど
国際 :国際バカロレア資格のコースがある。帰国子女多数。人気校。
新宿 :「塾が奨める高校ランキング」連覇。進学実績を伸ばし続ける。

〇「都立共通入試」
小山台:運動が盛んでとくに野球が強い。甲子園出場経験あり。
駒場 :保体科もあり運動部は盛んで週5~6活動。全国レベルが複数。
竹早 :現在の文京区の看板都立。校庭はせまいが文化部が頑張っている。
北園 :アカデミックなイメージが根付く伝統校。
三田 :女子に人気。立地がお洒落。

上記の高校群は「学生を難関大学に送り込む前提で学校運営をしている」という都立高校です。

 

文責 ふじい

 

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