やる科目の優先順位は?
※ 勉強するべき科目の優先順位をよく質問されるのでまとめました
Q
勉強する科目に優先順位とかあるの?
A
あるよ
Q
やっぱり英語?
A
絶対に数学だと思うよ。
Q
なんで数学なの?
A
「数学を捨てると選択肢がべらぼうに減るから」だよ。
Q
選択肢?
A
たとえば財布に150円入っていれば自動販売機を前にキミは選ぶことができるよね、
マックスコーヒーにしようか、バヤリースにしようか、それとも伊右衛門にしようかな、って。
もし財布に500円が入っているなら選択肢はさらに広がるね、奮発してドルチェの葡萄ジュースが買えるかもしれないじゃないか。
だけど財布に80円しか入っていなかったらどうだろうか?
Q
スーパーでミネラルウォーターを買う。
A
「数学を捨ててしまう」というのは自動販売機を前にして財布に100円玉しかない、という状況に似てくるんだよ。もちろんジュースの選択肢というのは職業選択のことだよ。
Q
「選択肢が減る」みたいな抽象的なおどかしはよく大人から言われるのだけどさ、漠然としすぎていてイメージがわかないんだよね。
なにか具体例はないの? 具体例を聞かせてくれ、と言うと、学校の先生も親もなにかぐもぐも言うだけで教えてくれないんだよ。
A
こういう話題は具体例を挙げると角が立つから私の口から言いたくないのだけど…
たとえば私が女子の中高生からよく聞く「なれるならなりたいとフワリと考えている職業」はね、
出版、マスコミ、心理カウンセラー、薬剤師、小中の学校教員、看護師、そして保育士、が多いよ。人をケアする仕事が多い印象だね。
Q
そんで?
A
出版とマスコミは文系女子に人気だね、就職するには運の要素がかなり大きいけれど、とりあえず最初の第一段階で大学名でバッサリとふるいにかけられるだろ。
心理カウンセラーは21世紀の今は大学院まで行って6年間の教育を受ける必要がある。
つまり勉強しないと話にならないね。
Q
ふーん。そんで?
A
そして問題は薬剤師、学校教員、看護師、保育士なのだけど、じつはこの職種は、ほぼそのまま年収や福利厚生の手厚さ、そして労働の重さの順番になっているし、そして就職するために数学を必要とする順番にもなっている。なるのに数学を必要とする職種ほど、年収や福利厚生が手厚くて、そして労働で肉体にかかる負担が少ない。そんな傾向にある。
Q
なんかバカらしくない? べつに数学なんて仕事で直接は使わないでしょ。
A
仕事で直接に数学の知識を使うかどうかというよりもね、
「ワタシはこのくらいの数学なら理解できましたし、理解できるようにコツコツ努力しましたよ」という若者のポテンシャルの証明のように利用しているんだよ、数学を、われわれの社会においては、なぜだかよく知らないけど。特に「コツコツ努力しましたよ」ってあたりが重要らしい。
キミが社会に出るときキミは大人たちから能力を値踏みされて労働者として値段をつけられるわけだけど、このときに、なぜだか、キミは数学を「やらなかった」のではなくて数学が「できなかった」、だから安い値段で買い叩いていいだろうよ、と悪意を持って値札がつけられるんだよ。不思議なんだけど。
Q
なんで決めつけるんだよ、イヤな感じだなぁ!
A
私に言われても、この社会が「こう」であるようにデザインしたのは私じゃないから。
Q
ちくしょう。
じゃあ数学をやってやるよ。
どれくらい勉強すればいいわけ?
できるだけ少ないほうがいいな。
A
一、二年のうちは「学校の数学の予習・復習を完璧にする」。これができれば大秀才だよ。数学と英語さえ基礎が完璧なら国公立は勝手に射程に入ってくる。
Q
そんな簡単なこと?
A
そんな簡単なことがみんなできないんだよ (→「「文武両道」の高校のワナ」)
知っているかい? 実はIQと学校の成績との相関とを調べた研究によると、日本においてIQと学業成績とがもっとも相関「しない」科目は高校の数学なんだ。
Q
どゆこと?
A
つまり「中学まで成績が良くて、やればできたはずの学生が、高校になると勉強をやらなくなる」そんな事例が多いから、と解釈できるかもしれないね。
中学までの数学は「神経衰弱みたいなトランプあそび」で高校の数学からは「将棋やチェスみたいなマインドスポーツ」になる、と、イメージできる。「神経衰弱」には特別な技術や訓練なんていらないだろ。覚えるのが得意なやつは放っておいてもか神経衰弱がつよい。「べつにアタシは特別にの練習なんてしたことないけれど、なぜか神経衰弱がつよいのよ」ということは普通に起こる。
しかし「将棋やチェスみたいなマインドスポーツ」においては、コツコツ練習しないと絶対にうまくなりはしない。確立された定石の体系があり、まずは反復して棋譜を覚えるなりして基礎を固めないと先にすすめないんだ。
Q
じゃあ大学受験でもっとも重要なのは数学なの?
A
ちがうよ。もっとも重要な科目は英語だよ。英語が受験というスポーツの生命線だよ。
Q
あれ?
A
職業選択のシステムを観察する限り、この社会ははなぜだかキミのポテンシャルを値踏みするにあたってキミの数学の学力を過剰に要求してくる。
しかし実際のところ受験というスポーツの生命線は英語なんだ。
Q
じゃあ英語を勉強すればいいじゃん。
A
ところがどっこい英語の伸びは完全に現国のポテンシャルに依存している。現国の偏差値が高くないと英語も止まる。つまり重要な科目の順番は、まず現国、つぎに英語、さいごに数学、だよ。いざとなったら数学は捨てられるから。
Q
数学捨てられるんじゃん!! じゃあ現国と英語の勉強をすればいいじゃん! どうして数学、数学って騒ぐの?
A
「数学がもっとも勉強に時間がかかるから」だよ。たとえ三科に絞ったとしても、三年の6月あたりから始めたのでは数学は絶対に間に合わない。英語は文系三科に絞って古文も使わないみたいな入試をうまく選んでくれば間に合ってしまう場合があるじゃないか。
Q
数学は重いよね。
A
七科目で突破するための作戦のキモは高3の時にどれだけ数学に時間を奪われないか、だよ。そのためには一年や二年で基礎を完璧にしておく必要がある。基礎でいいんだ。難しい問題は三年からで間に合うし、実際には基礎をつっこむのが一番大変なんだから。
Q
わかったよ。まとめていい?
A
いいよ。ありがとう。
Q
受験の生命線は英語だ。
七科目で受験するために大切なことは三年のときに数学に時間を奪われすぎないこと。
そのためには二年までに学校の数学の「基礎」を完璧にしておくこと。
てこと?
A
うん。ありがとう。
Q
だけど偏差値を占う最重要科目は現国なんでしょ?
A
そう思うよ。
Q
どうやって勉強すればいいの?
A
私も研究中なんだ。
文責 ふじい
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